起業家の溝口勇児さんと言えば、ブレイキングダウンの運営統括として有名ですね。
また、YouTuber・てんちむさんとの交際も報じられていますが、プライベートが気になります。
そこで今回は、壮絶な溝口勇児氏の生い立ちや家庭環境、そして、3歳で両親が離婚、兄弟についてなどを見ていきたいと思います。
溝口勇児の生い立ち
幼少から高校時代
溝口勇児氏は1984年生まれの現在38歳です。
東京都出身の溝口氏は、貧しい家庭て生まれ育ち、幼いころに両親が離婚し、父親とは中学の時にあって以来再会できないまま死別し、母親は自己破産したという過去があります。
小学校と中学校は都内練馬区の学校に通い、高校は朝霞西高校を卒業しています。
高校在学中にスポーツトレーナーとして活動し、プロ野球選手やプロバスケットボール選手、芸能人などをはじめ、延べ数百人のカラダ作りを担っています。
溝口勇児の家庭環境が壮絶!
3歳で両親が離婚
溝口勇児さんは、貧しい家庭に生まれ育ち、両親は溝口氏が3歳の時に離婚し、父親とは中学生の時に一度会って以来、会っていないまま死別したそうです。
そして母親は自己破産しているという。
父親はどんな人
溝口さんの父親は、孤児院育ちで両親を含めて親族がいないこと、そして母親が言うには「ろくでもない男」であったことや、借金を残して離婚したことが、情報として知っていることだという。
父親とは中学の時に「プレステ買ってやる」という餌に引っかかり、迷った挙句に会ったと、振り返っています。
その時の待ち合わせ場所では、30分待っても来なかったことから帰ろうとしたところ、いかついサングラスをしたおっさんが近づいてきて、「おまえ勇児だろ?高いフグ食わしてやるからついてこい」となったそうです。
結局、たらふくフグを食ったらプレステ買う金がなくなったと言われ、帰り際には「おまえは大物になる。強く生きろ」と言われていなくなったそうです。
それ以来父親とは会っていなかったそうですが、会いたいとも思わなかったという。
その後、5月19日に父親が亡くなったことが、生活保護を受給中だった福祉事務所からの封書で知らされたそうです。
溝口さんは父親の死因について電話で聞きましたが、個人情報の関係で頑として教えてもらえなかったことから、怒鳴りつけると教えてくれたという。
その内容は個人情報の問題以上に、担当者の溝口さんへの配慮があったことが分かったそうです。
溝口さんの「NOTE」では次のような父親に関する情報があります。
毎年、5/19日の親父の命日には、本当に多くの人が僕宛てにメッセージを届けてくれます。
親父の命日に僕ほど多くの方からメッセージを寄せられる人はそう多くないんじゃないかな。
引用元:溝口勇児note
母親はどんな人
母親は、溝口さんが中学3年生の時に突然姿を消し、その後数年経ってから再び溝口さんの前からいなくなったという。
母親は19歳の時に溝口さんを身ごもり、頼る人は誰もいない状況で、朝はバイト、そして夜は水商売という過酷な譲許でも一生懸命働き、女手一つで育ててもらったそうです。
溝口さんは、いろんなことがあり過ぎて、当時は母親を許せなかったそうですが、大人になって少しずつ思いは変わってきているという。
何年か後に会った母には、「何とかお詫びしたい」「挽回したい」という感情が伝わってきたそうです。
しかし溝口さんは、自身が必要としている時に手を差しのべてくれなかったのに、自分で生きていけるようになった今、手を差し伸べられても面倒なだけだという感情があったという。
兄弟はいるの?
父親の件で福祉事務所との電話の中で、溝口さんには腹違いの妹さんがいることが分かったそうです。
妹さんは、1991年生まれということから、現在31歳です。
すでに結婚されており、熊本育ちで熊本に在住しているようです。
溝口さんは、あまりにも多くのことが重なり、電話を切った後に言葉では言い表せないような感情が込み上げてきたと振り返っています。
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溝口勇児の生い立ちまとめ
今回は、溝口勇児氏の生い立ちや家庭環境、そして、3歳で両親が離婚、兄弟についてなどを見ていきたいと思います。
溝口勇児さんの壮絶な幼少時代や家庭環境がありましたが、この感情は本人にのみしかわからない壮絶なものですね。
溝口さんは、高校生の時に飛び込んだフィットネスやヘルスケアの仕事がなければ、父親と同じようになったいたかもしれないと振り返っています。
そして、自分はこの仕事に出会ったおかげで、今があると締めくくっています。