「イエロー・マジック・オーケストラ」のメンバーの高橋幸宏さんが亡くなったことが報じられました。
そこで今回は、YMO・高橋幸宏さんの経歴と嫁や子供などの家族構成、そして、死因は脳腫瘍か肺炎だったのか調査しました。
高橋幸宏のプロフィール
名前:高橋幸宏(たかはし ゆきひろ)
生年月日:1952年6月6日
没年月日:2023年1月14日(没年齢70歳)
出身地:東京都目黒区
職業:作曲家・シンガーソングライター・俳優
高橋幸宏さんは、東京都目黒区の生まれで70歳でお亡くなりになりました。
YMOのメンバーとして一世を風靡し、そのテクノサウンドは私たちに衝撃を与えてくれました。
そして、音楽だけでなく、赤い人民服など独特のファッションを打ち出すことで世界から注目されていました。
高橋幸宏の学歴(高校・大学)と経歴
高校・大学
高橋幸宏さんの出身高校は、立教高等学校(現:立教新座高等学校)です。
偏差値:72
立教新座高等学校は、埼玉県新座市北野一丁目に所在する私立の中高一貫校です。
推薦入学で約8割の生徒が立教大学へ進学するほか、難関私立大・難関国立大へも多数進学する県内有数の進学校として有名です。
主な同校の卒業生は次のとおりです。
- みのもんたさん(たれんと、アナウンサー)
- ルー大柴さん(お笑い芸人)
- 関口宏さん(タレント)
- 古舘伊知郎さん(アナウンサー)
- 細野晴臣さん(ミュージシャン(Y.M.O.))
その他にも多くの有名人や著名人を輩出しています。
立教新座中学校・高等学校の所在地はコチラ
大学は、武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン科に入学しましたが、中退しています。
主な経歴
高橋幸宏さんは、小学校5年生の頃にはすでにドラムをたたいていたそうです。
そして、立教中学時代に同級生と「ブッダズ・ナルシィーシィー」というバンドを結成し、主にパーティー等で活動していたという。
高橋さんは、高校在学中からスタジオ・ミュージシャンとして活動し、サディスティック・ミカ・バンドやイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーとしての活動が有名です。
「サディスティック・ミカ・バンド」は、武蔵野美術大学短期大学部に在学中に加入しています。
その後解散し、ソロ活動を経て「YMO」を結成し、世界的な大成功を収めたのは誰もが知るところです。
その他にも細野晴臣さんとのユニットをはじめ、様々なミュージシャンとのコラボレーションやプロデュースも手掛けています。
高橋さんの本職はドラマーですが、その厳格なまでのリズムと表現は、多くの人からリスペクトされています。
また、自身のファッションブランドのデザイナーや、ラジオのパーソナリティなど、その活動は多岐にわたっており、多彩であることが知られています。
その他にも映画やCM出演、そしてエッセイの発表などを行い、特に映画では「四月の魚」で主演を務めていました。
高橋さんは、俳優の竹中直人さんと交流が深く、シュールなコントなどにも挑戦していました。
趣味は釣りだそうで、釣り同好会「東京鶴亀フィッシングクラブ」の会長でもあるそうです。
高橋幸宏の嫁や子供などの家族構成は?
高橋幸宏さんは、2度の結婚歴があります。
最初の結婚は、フラワーデザイナーの恵美子さんという方で、高橋さんの中学時代の同級生でバンド仲間だった、東郷昌和さんのお姉さんです。
その後2人は離婚し、恵美子さんは1994年にイギリスのロックミュージシャン、ビル・ネルソンさんと再婚して渡英します。
高橋さんの2度目の結婚は、喜代美さんという方で、学生時代にモデルデビューをされており、『装苑』の専属モデルを経て、『non-no』で活躍したのち、30歳で引退しています。
喜代美さんはかなりの美貌の持ち主で、24年ぶりに復帰した時は奇跡の50代として注目されました。
その後還暦を過ぎてからは、サントリーの美容ドリンク「リフタージュ」のCMに出演していました。
お子さんについては情報がなかったこともあり、いないと思われます。
高橋幸宏の死因は脳腫瘍か肺炎?
高橋幸宏さんは、2020年8月に脳腫瘍の摘出手術を受け、闘病中だったそうです。
また、報道によると高橋さんは、静養先の長野県軽井沢町で年明けに肺炎を患い、容体が悪化していたという。
高橋さんは、2020年初夏から頭痛に悩まされたそうで、同年8月のMRI検査で脳腫瘍と判明し、摘出手術は成功し、入院治療の全工程終了したことを10月のツイッターで報告していました。
死因については、現在のところわかっておりません。
高橋幸宏の経歴まとめ
今回は、YMO・高橋幸宏さんの経歴と嫁や子供などの家族構成、そして、死因は脳腫瘍か肺炎だったのか調査しました。
高橋幸宏さんは、東京都目黒区の生まれで享年70歳でした。
立教新座高等学校から武蔵野美術大学短期大学に進み、在学中からスタジオミュージシャンとして活躍されていました。
1980年年代にテクノブームで世界を席捲し、「YMO」は伝説のバンドとして語り継がれています。
高橋幸宏さんのご冥福をお祈りいたします。